シルクガーデンの歴史

シルクガーデンの管理・運営を行う
「株式会社 山梨社」は
山梨の地場産業であった
甲斐絹を作り出す養蚕農家に
「蚕の種」の販売を行う
「山梨県蚕種協同組合」として
昭和21年に創業、
「蚕種協同組合山梨社」を経て、
現在に至ります。

当時、養蚕は山梨の
基幹産業であった為、
おのずと地域のため、
次世代の為に貢献するという
使命感のようなものが、
会社全体に根付いておりました。
「山梨」を支えていきたい
という想いが、
社名に詰まっています。

シルクガーデンは
山梨社設立当初から
若者たちが過ごす
かけがえのない場として
また蚕への想いと
志が根付く場として
昔も今もあり続けています。

「若者たちの青春の場」

当時の社風が、現在のシルクガーデンの源でもある。

今も残る渡り廊下の風景

寄宿舎

山梨社が設立された当初、女性と男性あわせて100名ほどの社員が寄宿舎に住みながら蚕種製造の仕事に励んでいました。
当時は職歴の同じ年ごろのメンバーで縦割りにして4~6人ほどで部屋を分けて暮らしていました。今のシルクガーデンのようにプライバシーはありませんでしたが、1日の仕事を終えて、おしゃべりをしながら洗濯板を並べて洗濯をし、仲間とくつろぎ、まるで姉妹のように枕を並べて仲良く眠りについていました。

昭和23年当時の蚕種製造風景

食堂

山梨社の設立当初に勤めていた方からは「家族的な会社」であったとの声があります。
終戦直後の設立当初は食糧不足のため、芋と麦が混ざったようなご飯と漬物、すいとんといった質素な夕食ではありましたが、皆で食卓を囲む食堂での時間が楽しく、食事もとてもおいしかったそうです。そんな夕飯のメニューを友達と話しながら仕事に励むことも楽しかったといいます。
今のシルクガーデンでも「仲間と食卓を囲む」という文化は当時から続いている仲間との大切な交流の場となっています。

昭和45年運動会入場行進

年中行事

今のシルクガーデンと同じように当時の山梨社でも1年を通してさまざまな楽しみがありました。
夏には河原へ魚釣りに、秋にはきのこ狩り、運動会での仮装競争や社員旅行。給料日や仕事が早く終わる日には、いそいそとお化粧をして映画を観に行ったり買い物へ出かけたりと、甲府のまちが近いからこそ気軽に遊びにいける環境も当時働いていた彼女たちには魅力的だったのかもしれません。

会社としての志を継承

職業に貴賤上下は無い
しかし人のため国家のために貢献しているのだと自覚できる仕事を天職とし
自分の働く職場に誇りと自信を持つことこそわが社の目標である

創立者の金井武は、この言葉を自らに対し、また社員に対しても言い聞かせていたそうです。
自分達の働く職場に誇りを持ち、人の為社会の為に働き、人々に喜びを与えることが出来るとき、必ず会社も利益を上げることが出来ます。働くという事は他人を楽にすることであるという教えでした。
蚕種業者が傍(はた)を楽にしてあげられることは優良血種の配布に尽きます。
強健で繭質、繭糸長等に優れ、多収穫のできる品種を育種開発することにかけた情熱は凄まじいものがあり蚕品種検討会、発表会の会場に金井武の姿を見ない事はなかったと伝え続けられています。
それらの功績により自社だけではなく他社にも大きく貢献し、業態が変わった今もなお創設者 金井武の「人のために」という志が息づいています。

創設者 初代理事長金井 武
従五位勲四等瑞宝章

蚕への想い

脚光を浴びていた養蚕・製糸業でしたが、三代目理事長に金井武彦が就任した昭和40年代後半ごろから、次第に養蚕農家が激減。そのなかで、業界人と対話を重ね、必死に協議を行い、全国の蚕糸業界のトップリーダーとして業界のために取り組みました。

また、蚕種による収入を補うため精密事業部を立ち上げ、カセットテープレコーダーの組み立て加工などのエレクトロニクス事業やしめじの栽培、そして今もシルクガーデンとして続いているマンション経営など、多角的な事業経営によって経営課題を乗り越えてきました。
このような経済の変化に対応し、複合経営による活路を見出した中でも「山梨社」として受け継いできた志と蚕への想いを絶やさないよう、「シルク」にかかわる名前を引き継いでいます。

三代理事長金井 武彦
藍綬褒章受賞

人をひきつけ慕われる
リーダー

山梨社の設立者である金井武は蚕種業のリーダーとしてだけではなく、県議や県公安委員会を務め、政治・経済への貢献に励むなか、油絵などの芸術をたしなむなど幅広い交友関係の中で多くの人から慕われる存在でした。
金井武亡きあと、胸像の建設計画が養蚕業界の内部から上がりました。その声は養蚕業界だけではなく「県全体で功績をたたえるべきだ」と広まり、当時の知事である田辺国男氏を発起人の一人とし、山梨県養蚕連や山梨県製糸協会をはじめとする各養蚕団体などからの寄付金をもとに胸像が建立されました。

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